くだらないプライドなんて捨ててしまえ

見栄とプライドだけで入社した大企業を速攻で辞めた筆者が、関西からベンチャーについてのあれこれを綴ります。

つい人の目が気になる人に読んでほしい、この中二病ブログタイトルに込めた想い。

意識高く、二日連続の更新です。
たまたま昨日読んだ『終わった人』という本の内容がこのブログのタイトルに通じるものがあったので、早速タイトルについて書いてみようと思いました。
 
『終わった人』は、エリート街道を歩んでいたメガバンク社員が、急転直下出世コースを外されて失意のまま定年を迎え、見栄とプライドを捨てきれずにもがきながら余生を送る姿を描いた小説です。若干中だるみしますが、自分ではなかなか想像しづらい定年後の人生について考えるきっかけを与えてくれる良書なので、ぜひ読んでみてください。定年後と言っても、なんだかんだ20年くらいの余生があるんですよね。
 
 
さて、本題の『くだらないプライドなんて捨ててしまえ』というタイトルについて。
 
私は、プライドにはニ種類あると考えています。
 
一つは、「プロフェッショナルとしてのプライド」。仕事やスポーツなどで、プロとして絶対に負けられない、妥協してはいけないという矜持のようなものです。私は、このプライドは否定しません。むしろ持つべきだと思います。
 
捨ててしまった方が良いと思うのは、もう一つの、「見栄としてのプライド」です。よく「エリート意識」といった言葉が使われますが、それに似た概念です。
 
この二つのプライドには、明確な違いがあります。それは、プライドの「ベクトル」です。
 
前者は、「コト」に向かうプライド。良い仕事をしよう、良いプレーをしようと、やるべき「コト」に集中しています。人からどう見られるかなんて二の次なのです。
 
一方で、後者は「ヒト」に向かうプライド。親や友人、あるいは世間からよく見られたいという想いからくるものです。つまり、自分がどう見られるかを気にしているのであり、ベクトルは自分や他人という「ヒト」に向かっています。
 
この差は、人の生き方を左右するほどに大きいと思います。
 
「コト」に向かう人は自分の意思やこだわりを軸に生きることができる一方で、「ヒト」に向かう人は常に誰かの目を気にしながら生きています。顕著に表れるのは、キャリア選択の場面です。やりたいことや望んでいる環境があるのに、親の期待や友人の目を気にして本意ではない選択をしてしまう。それが危ういとわかっていても。偏差値の高い大学に通う学生や、一流企業に務める社会人ほど、その傾向は強いように感じます。厄介なのは、その「演じるべき役割」が世間一般の共通認識となり、本人も当たり前のように受け入れているケースがあまりにも多いということ。
 
かくいう私も、早稲田に入って、当たり前のように周囲の期待するような大企業に絞って就職活動をしていました。ベンチャーや中小企業なんて見向きもせず、それどころか見下してすらいました。早稲田にまで行った自分の「行くべきところ」ではない、と。
 
結果的に、私は第一志望で入社したベネッセを一年半で辞めました。決してベネッセが悪いわけではありません。くだらないプライドに身を任せて、きちんと進路を考えなかった自分が全て悪いのです。
 
そして皮肉なことに、自分にとって「行くべきではない」はずのベンチャー企業に転職しました。当時のことを振り返ると、正直、期待よりも恐怖の方が強かったように思います。見下していたはずのベンチャーでの仕事に、付いていけるのだろうかと。本当は見下していたのではなく、避けていたのかもしれません。実際、入社当初は全く付いていくことができず、苦しかったです。
 
慣れないベンチャーという環境でちょうど一ヶ月が経った頃、代表の伊藤と面談をする機会がありました。その時に「予想以上に時間かかりそうだね」と言われ、わかってはいましたがショックだったことを覚えています。後にも先にも、この時期だけはスローガンに来たことを少しだけ後悔していました。
 
しかし、ずっと私の話を聞いていた伊藤は、面談の最後に一つだけアドバイスをくれました。
 
プライドは早く捨てた方が良いんじゃないかな、と。
 
プライドを捨てて頑張る、という言葉自体はありふれていますが、このときに初めてその意味がわかったような気がします。センセーショナルに大企業のキャリアを捨ててベンチャーに飛び込んだ気でいましたが、本当はどこかで自分が可愛かったのだと思います。急に仕事ができるようになるわけではないですが、このアドバイスだけは忘れないでおこうと心に決めました。
 
それ以来、人の目を気にすることは格段に減りました。もちろんまだまだ至らない点はありますが、少なくとも他人と比べて劣等感を覚えることはほとんど無くなりました(入社当初のイケてない自分を晒すなんてことは、昔だったらありえませんw)。
 
この経験は日々の面談にも大きな影響を与えています。本人の意思とプライドの狭間で葛藤する学生に、私はいつも「君は誰の人生を生きたいの?」と問いかけます。周囲の人間に感謝はすべきですが、その人たちの「期待する役割」を演じることが本当に自分の人生だと胸を張って言えるのか。当時の自分と同じ失敗はしてほしくないと思うと、つい言葉に力が入ります。見栄で塗り固められたプライドなんて、重荷でしかありません。
 
確かに、人からの評価をモチベーションに頑張れるという人も多いかもしれません。というか、世の中の大半がそうなのかも。しかし、評価というのはあくまで他人が下すものであって、自分がコントロールできる範囲は極めて限定的です。頑張ったけど評価されない、なんてことは当たり前のようにあるのです。そんなコントロールできないものに振り回される人生が本当に幸せなのか、疑問です。
 
「ヒト」ではなく、「コト」に向き合いましょう。
そんな思いから、このブログのタイトルをMy Sloganである『くだらないプライドなんて捨ててしまえ』としました。
 
思ったより長くなってしまいました。ともすれば自己陶酔も甚だしいこんな拙い文章を世界に向けて発信するのはとても恥ずかしいですが、くだらないプライドは捨てて、書き続けていきます。